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痛い体と痛い心⑤

「診断名」という免罪符を待つ人々

「インフルエンザと診断されたから、ようやく会社を休める」 「腰痛という病名がついたから、整体に行ってもいいだろう」 これらは一見、正しい健康管理に見えます。

 しかし、ここには現代人が抱える深い闇が潜んでいます。

 自分の身体の決定権を、自分ではなく他者が決めた「診断名」や「数値」という外側の情報に明け渡してしまっている。 

これは、身体に対する「依存」の状態です。 ここで伝えたい「自立」とは、誰かに太鼓判を押してもらう前に、「あ、今の自分は少しおかしいな」という微細な感覚を信じ、自分の判断で動けることです。 

前記した、耳の中の一本髪の毛にもやもやし続けた方の話では、

耳の中の違和感 ↓ 数日でよくなるだろう ↓ 気になりながらも2か月放置 ↓ やっと病院へ

もしこれが、相談しやすいかかりつけ医がいたらどうしてたでしょう。

耳の中の違和感 ↓ 数日でよくなるだろう ↓ 数日たっても変化がないのでかかりつけ病院へ

耳の一本の髪の毛が気になりながらも過ごした2か月は、ちょっと見て、と言える相手がいればすぐ解消できたかもしれませんよね。 

このように相談できる相手の存在はあなたの辛さを軽減したり、課題を解決したりすることに力を貸してくれることにつながります。

自分のすこやかさ、幸せ、本心で満たされることに人の手を借りること、時間や学びにエネルギーを注ぐことを取り入れることでどのように人生が変わるか、時間をとって想像してみてください。

 1回目は嫌悪感がでてきてやっぱり無理!となることも多いですが、繰り返すごとに脳内シミュレーションができるようになります。 

ここは繰り返し根気よくやってください。 現代は、老化でさえもコントロールできる時代に入りました。 比較的安価でシンプルな生活習慣の改善だけで、健康的な毎日が手に入ります。

 それなのに、あえて限界まで我慢し、壊れてから修理するような生き方を選ぶのは、あなたにとってどんな価値があるのでしょうか?

 以前、ある交通事故の裁判に関する話を耳にしたことがあります。20年間も争い続けたケースで、事故そのものは車体の故障だけで誰もケガをしていなかったそうです。

「費やした時間とお金を、もっと他の人生の楽しみや経験に使えたのでは」——そんな話を聞いて、深く考えさせられました。

 もし単なる「善悪のジャッジ」に囚われ、そのジャッジが通らないことで生じる苦しみ、不満足感ならば、一度それを棚に置いて、次に進んでしまってもいいのです。

 少し時間が経って冷静になったとき見直すと新たな視点で受け入れられることも多いです。 

「物事と闘おうとするのではなく、それを受け入れること。物事から逃げたり、禁じたりするのではなく、それと手を携えること」——これは、私が仕事を通じて学ぶ中で触れてきた考え方です。 

手を携える、相容れる、共存する。

言葉にすればシンプルですが、実際には自分自身の器の大きさや視点の多さが試される、なかなか奥の深い考え方だと感じています。

正直、私自身もまだ完全に扱いきれているわけではありません。

 健康面に関して症状や名前がつくまで違和感を放置し、貴重な人生の時間を「マイナスの修復作業」だけに費やすのは、今日で終わりにしましょう。

Point:「幸せにならなきゃ」と思っていませんか? 

それは幸せにならなければいけないことに囚われている状態です。 そもそもあなたの幸せは、すでに実現しています。 

それをただ受け取れていないだけ。

何にこだわりを持って、どんな気持ちで過ごすのかはあなたの自由です。

 まずは自分を満たす、すでに満たされていることに気づくとはどういうことか、見つめなおしてみましょう。 

そのためのスタートに、まずは気が休まる時間をとって自分の内側で何が起こっているのか内観してみましょう。

 今ある幸せを受け取ること、今ここに生きていることを喜べる自分へ戻っていきましょう。